まみさんのせいにして寝ている

    毎日「雨宮まみ」で検索をしている。まみさんと親しかった人、仕事等で関わったことのある人、わたしみたいな読者、いろんな人がそれぞれの悲しみ方で悲しんでいるのを見て泣いている。悲しさを癒してくれる人はもういないから、みんな悲しいまま一所懸命に生きている。生きようとしている。

    わたしは泣きながら一日中寝ている。たまにドライヤーのコードで自分の首を思い切りしめている。力がなくて全然しめられない。夜には睡眠薬を飲んでわけがわからなくなってからSNSに意味不明なことを投稿して意識を失う。目が覚めてからゾッとする。

    正直に言えば、まみさんが生きることを選ばなかったこの世界はもうどうでもいい。

    わたしは自分で思っていた以上にうまく生きられないどころか普通にも生きられないし、まみさんはいなくなってしまったけどまみさんが生前に闘っていたように、前を向いてしっかりと自分の足で生き抜こうなんて思ったそばから「やっぱ無理」と布団に入るような人間だ。

    今さら自分らしく生きるなんて、リセットボタンのない無理ゲーだ。わたしにはできない。赤い口紅は似合わない。姿勢も最悪に悪い。傷ついた人に寄り添うどころか、健常な人にもたれかかって健常な人の手脚をもいでしまう。

    わたしは、まみさんの文章に、言葉にいちいち救われてきたのに、何一つ自分を良い方向に変えられてこなかった。まみさんの全てに憧れていたのに、ひとっつも近づけていなかった。まみさんが超本気で書いて、伝えてくれたことはわたしにとって何だったのだろう。何も残ってないのに、なんでわたしは泣いているんだろう。

    まみさんの訃報が流れた夜、わたしは泣きながら夫にこう言ったのだ。

「死にたかったはずない。生きたかったはずだから、わたしはがんばって生きる」

 

    わたしは嘘つきだ。死ねもしないし、生きられもしない。