1月1日
西暦2025年が始まった。
とはいっても、世界にはいろんな暦の数え方があって、たとえばネパールのビクラム暦ではきょうは2081年の途中だし、そもそも宇宙には時間なんて存在しない。最近ではあまり年末年始を特別に考えなくなった。世界中で、きのうよりもきょうが、よりよいものになればいいなと思う。
午前中は、夫の実家の近くの公園に、ばあばも一緒に凧揚げに行った。運動場として使える公園で木がないため、凧が絶対に木に引っかからない安心感があって最高だ。
風がほどよく吹いており、走らなくても凧は風をあつめて高くあがっていく。いい感じに凧が風をつかみはじめたところで子どもに手渡すと、子どもは風の向きなんて読まずに、走りたい方向に走っていく。真冬にただの綿100%の長袖で走っていく。気持ちよさそうに滑空していた凧は空気抵抗をもろに受けながら、子どもの全速力によって引き摺り下ろされていく。
午後は、ばあばの家のお墓にお参りに。
わたしは実家と距離を置くまでは、先祖のことを非常に大事に考えていたが、今は考えるのをやめている。先祖代々の墓にも全く参っていない。
しかし、お義母さんは先祖代々のお墓のことを大切にしている方なので、初めてお墓参りをする子どもにわたしは「ここには、死んじゃったばあばの家族の骨があるんだよ。ばあばの家族がいたから、パパがいるし、〇〇がいるんだよ」という話をしてみた。血の繋がりというのはわたしが最も嫌いな概念の一つだが、このお墓に骨がある人たちが生きたからこそ、奇跡のようなこの子がここにいるのだということには、有り難いと感じざるを得なかった。
わたしは今までに何度も、お義母さんの先祖代々のお墓にお参りをしてきたが、線香に着火することだけがたのしくて(古風に新聞紙を燃やして火をつけていた)、手を合わせるときも燃える線香のことしか考えていなかった。墓前で初めて、命のバトンをここまで運んできてくれたことに、御礼を言うことができた。
お義母さんは「〇〇が来てくれて、喜んでると思うよ。ばあばが死んだらここに入れてね!」とうれしそうに言っていた。子どもは「ばあばのともだちがここにいるの?なんで死んだの?ともだちどうしたの?」と言っていた。
1月2日
J-ROCK好きのキッズたちにはお馴染みの、ひたち海浜公園へ遊びに行った。
国営ひたち海浜公園 – 海と空と緑がともだち。ひたち海浜公園は、茨城県ひたちなか市にある国営公園です。
ここは、GW前後のネモフィラの季節、10月後半からのコキアの紅葉の季節は、ほんとーーーーーーに混雑するのだが、他は長閑な国営公園だ。今はアイスチューリップが三分咲きくらいだったが、季節のいろんなお花を楽しめて、めちゃくちゃに広いから走り回る子どもにも安心安全、多種多様なアスレチックや遊具がある上に、遊園地まである。
ばあばが2年前から子どもを誘いつづけていた観覧車をはじめ、いろんなアトラクションに乗ったが、結局子どもが一番よろこんでいたのは、ふわふわ遊具のてっぺんからわたしと夫と一緒に転がり落ちる遊びだった(中学生以上は使用できないが、保護者は幼児と一緒に遊具を使うことができる)。わたしと夫と一緒に遊んでいるときの子どもは、ほんとうにうれしそうで楽しそうで、毎日老体にムチを打って公園に出かける甲斐がある。
余談だが、初冬の絵本にもれなく登場するガマの穂も、ひたち海浜公園の湿地帯になら生えているようだ。わたしは田舎育ちのくせに、ガマの穂だけは見たことも触ったこともなくて、子どもにどこに生えているか、1年以上教えられずにいたので、来年こそはここの湿地帯でガマの穂を触りたい。